深い瞑想やサマーディの入り口に入ったときの実感は、特に「素晴らしい」というものではありません。まあ「素晴らしくない」わけでもありませんが笑。
圧倒的ではありますね。まさに「井の中の蛙が大海を見た」というたとえの、何百倍も圧倒的です。
ある朝、いつものように会社に行こうと思ってドアを開けたら、グランドキャニオンの崖の上に出てしまったような感じです。
いや、それよりも明らかにスケールは大きいのですが、なぜここで「宇宙」とか「異次元」という言葉を使わずに「グランドキャニオン」というたとえを出したかというと、その感覚が非常にリアルだからです。妄想的ではなく、あくまで極度にリアルだからです。
そのような瞑想に入る前の様々な付加的条件と、瞑想後の様々な付加的条件の組み合わせによって、結果的にその瞑想が「素晴らしい」ものとなることはあります。というか一応原則的にはそうなることを目指すのですが、サマーディ自体は、素晴らしくも素晴らしくなくもないのです。そういうものではないのです。
しかし少なくとも、ヨーガをしている方、瞑想をしている方、各種の修行をしている方は、この「入り口」には立ってみることをお勧めします。人生をかけても、それをする価値はある、と言っておきましょう。そしてその後どうするか、は、各自の判断にお任せします。
この言葉の意味は、たぶん、そこに立つことができたときにわかるかもしれません。