「お釈迦様の予言」【原文】
原始仏典の中で、お釈迦様が、遥か昔の人間界と、これからの人間界の未来予言について語っている珍しい経典があります。今回はこの「転輪聖王修行経」の内容を簡単にまとめてみましょう。
【遥か昔 -堕落の始まり-】
遥か昔、人間界の寿命が八万歳のときがありました。
そのころ人間界を統治していたのは、転輪聖王とよばれる偉大な王で、彼は正しく世界を統治し、世界は平和で幸福で、罪悪を行なう人は誰もいませんでした。
この転輪聖王は、死が近づくと王位を退いて出家修行に入り、息子に王位を譲るわけですが、息子は、まあいろいろあるわけですが、正しい政治の仕方を先王に尋ね、また正しく政治をし、同じように転輪聖王として世界を正しく統治するわけですね。
このようなことが何代かにわたって繰り返されるわけですが、何代目かの王のとき、その王は、先代の偉大なる王に、正しい政治の仕方を聞くということをしなかったんですね。自分のやり方で政治を行なったわけですが、それにより、世界は乱れだすことになります。
まず、貧困が世界に増えだしました。
そのため、盗みを行なう者たちが現われだしました。
つまりそれ以前には、盗みという行為が、人間界にはなかったのです。
盗みを行なった者に対して、王は、
「なぜお前は、盗んだのだ?」
とたずねました。
盗人は正直に、
「生活できなかったからです」
と答えました。
そこで王は、その盗人に財産を与えました。
このようなことが繰り返されたとき、人々は、
「盗みをすると、王に財産をもらえるらしい」
と考え、より盗みが増えてしまいました。
王はさすがに、このようなことをしていてはますます盗みが増えると考え、あるとき、盗みをした者を捕まえて縛り、町中を引き回した上で、首をはねました。
ここで、「刑罰」という悪が登場しました。
面白いですね。この経典だけではないのですが、仏典では、刑罰を悪と捉えている場合が多いのです。
実際に悪に果報を返すのはカルマの法則そのものであって、人間が人間に対して刑罰を加えるというのは傲慢極まりないと、私は思います。
もちろん、実際は、国を統治する場合、秩序の維持のためにしょうがない部分もあるかもしれません。
しかしたとえば現代のように、テレビでさまざまな犯罪を報道し、それに対してコメンテーターや視聴者が、まるで閻魔様にでもなったかのように、「あいつはひどいやつだ」「あいつにはこのような刑を与えるべきだ」などと言い合っているのは、どうかと思いますね。人は皆、罪の塊なわけですから、人に罰を与える前に、自分のカルマと心の浄化に励むべきでしょう。
【昔の時代から現代に至るまで】
さて、このように刑罰が行なわれるようになっても、盗みは減りませんでした。それどころか、泥棒たちは、捕まると殺されてしまうので、自分たちが武器を持ち、盗みに入った家の人を殺すようになりました。
ここで、殺人という悪が登場します。
また、つかまったとき、刑罰を受けたくないので、盗人たちは、自分たちは盗んでいないと、うそをつくようになりました。ここで、嘘という悪が登場します。つまりそれまでは、人間界にはうそつきはほとんどいなかったということです。
さて、またあるとき、他人が盗みを行なうのを見たある人が、王にそれを報告しました。
これは現代では、「正義の訴え」と見られるかもしれません。しかし仏典では、この経典だけではないのですが、このような、他人の悪を王に訴えることも、「悪口」とされているのです。
こうして、このような悪口も増えていきました。
さて、このようにして、平和で、幸福に満ち、悪がなかった人間界において、盗みが増え、刑罰が増え、殺生、嘘、悪口などが増大していきました。これにより、徐々に人間の寿命は短くなっていき、また、人間の容色は衰え、幸福度も減り、苦しみは増していきました。
こうして人間世界が下降し続け、人間の寿命が一万歳になったころ、人間のある人々は美しく、ある人々は醜くなりました。つまりそれ以前は、みんなが同じように美しかったわけですね。
そしてこのころから、不倫が行なわれるようになりました。
人間の寿命が五千歳になったとき、粗暴な言葉と、無意味な言葉を語ることが増大しました。これによって、人々はより醜くなり、寿命も減りました。
人間の寿命が二千五百歳になったとき、貪欲と憎悪が増大しました。これによって、人々はより醜くなり、寿命も減りました。
人間の寿命が千歳になったとき、誤った見解が増大しました。これによって、人々はより醜くなり、寿命も減りました。
人間の寿命が五百歳になったとき、「不当な愛欲」と、「異常な貪り」と、「誤った教え」が増大しました。これによって、人々はより醜くなり、寿命も減りました。
人間の寿命が二百五十歳になったとき、父母への不孝、修行者への不敬、一族の長を尊敬しないこと、などが増大しました。これによって、人々はより醜くなり、寿命も減りました。
【現代】
このようにして人間界は落下を続け――ここから先は未来の話になるのですが、人間界の寿命が十歳になるときがやってくるといいます。
人間の寿命が十歳になることなどあるのだろうか、と考えるかもしれません。また、そんなときが来るとしても、それは遥か未来だろう、と考えるかもしれません。
しかしこの言葉には、トリックがあると思います。それはあえてここでは書きませんが、皆さんも考えてみてください。
さて、人間の寿命が十歳のとき、人間界はどういう世界になっているかというと、ざっと書いてみましょう。
◎不殺生・不盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不貪・不憎・不邪見という善は消滅し、殺生・盗み・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪り・憎しみ・邪見という十悪がはびこる。
◎親孝行せず、修行者を敬わず、一族の長を尊重しない人が、供養され、称賛されるようになる。
◎母、母の姉妹、母の義理の姉妹、師の妻女、父方の叔母、聖者の妻などと、だれかれかまわず、獣のように、男女の関係を結ぶようになる。
◎相互に激しい敵意が生まれ、激しい憎悪・悪意・殺意を持つようになる。親子や家族の間においても激しい敵意・憎悪・悪意・殺意を持つようなる。
うーん……これはまさに現代の描写のようですね。
【未来】
さて、このような時代になったあるとき、人々は武器をとり、お互いを、「あいつらは野獣だ」と思い込んで、武器を持って殺しあうそうです。それは、七日間の間、殺しあうそうです。
しかし一部の者たちは、その七日間の戦争の間も、「我々は誰をも殺さないようにしよう」と考え、戦争に参加せず、殺生をしません。そうして七日の後、殺生に参加しなかった者たちは生き残ります。
生き残った人たちは、こう考えます。
「我々はさまざまな悪いことを行なってきた結果として、多くの仲間を失ってしまった。
これからは善いことをして生きていこう。まずは我々は、生き物を殺すことを一切やめよう。この法を守り続けよう」
このように考え、実践することで、人々は徐々に寿命が延び、徐々に容姿も美しさを取り戻します。
そうして人々は、他のさまざまな悪をやめ、さまざまな善に基づいて生きるようになります。こうして代々、人間界はどんどん寿命が増し、容色も美しくなっていくのです。つまり七日間の戦争をターニングポイントとして、今度は上昇のプロセスに入っていくわけですね。
こうして人々が悪をやめ、善を行なうことで、遥か未来には、人間の寿命が再び八万歳に到達するときが来るそうです。
そのとき、人間界に、サンカという名前の転輪王が現われ、正しく世界を統治するそうです。
そしてそのとき同時にメッテーヤ(マイトレーヤ)というブッダが現われて、人々に真理を説き明かすそうです。
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